缶「バッチ」「バッジ」
英語をカタカナ表記にするとき、どう書くのか。
しゃべっている時はあまり気にならないけれど、文字になると気になるもの、ありますよね。
濁音があるかないかは、英語のスペルから判断する場合が多いです。
例えば寝具の「ベット」。これは bed なので、「ベッド」が正しいですね。
食べ物の「アボガド」。これは Avocado のため「アボカド」となります。
アボカドが日本で一般的に流通し始めた頃、「アボガド」の表記も多くみられました。そして話題になったのが、それをツイッターで丁寧に訂正してくるTwitterアカウント『アボガドをアボカドに訂正する委員会(@avogado_janai)』。
2016年登場し、ツイッターもユーザー拡大期だったので、かなりのインパクトを持って覚えています。
かの委員会のおかげか、現在は「アボガド」と検索しても、「アボカド」として結果が表示され、誤記をしているページもほとんど見かけません。2017年4月には委員会は発信を更新しておらず、1年の活動で「アボカド」を定着させたかと思うと、その功績は素晴らしいです。
さて、本題のピンバッジや缶バッチの表記ですが…
缶「バッチ」「バッジ」どっちが正しい?
結論的に言えば、「缶バッジ」「缶バッチ」はどちらでも間違いではなく、双方、一般名詞として使われています。
英語のスペル的に言えば「バッジ」
英語で書くと badge のため、「バッジ」と書くのが一般的かと思います。
検索でも「バッジ」を使用しているほうが優勢のようです。
ただ、”発音のしやすさ” から言葉が変化して定着している感もあり、「缶バッチ」で商品名が登録されているものもあります。
なんとなく、「ジ」より「チ」のほうが、楽しく弾けたイメージがありませんか?
校正の立場としては「バッチ」とあった場合、(あくまで私個人ですが)
- 個人の書き言葉や言い回しを大切にする文章は、「バッチ」のまま。
- 雑誌や会報、広報、記念誌など、ある程度公に読まれる、残るものは「バッジ」。
- 周辺の文から固有名詞の可能性がある場合は、「検索して判断(固有名詞に沿う)」。
にしています。
「缶バッジ」「缶バッチ」について
詳しく語っている缶バッジ制作会社があったので、以下にご紹介しておきます。
ちなみに彼らの会社名は「缶バッジ」でした。
イラストと小説のニフ
”ニフ” …なんのことでしょう。
イラスト、小説に関わる二字の言葉。
印刷所には、さまざまな形で原稿が入ってくるのですが、いちばんありがたいのが、文字打ちされたデータ。
データでないもの(手書きの原稿、写真で送られてきた文字、最近はスクショとかも… タイプされているけれど紙の打ち出ししかないもの…などなど)は、生原稿といって、印刷所で文字入力からスタートします。
よって人為的ミス発生の危険も高まり、校正も一文字一文字の注視でスピードも落ちるので、データ原稿がとっても助かるという話です。
で、今回のお仕事はデータ入稿だったため、とっても助かるはずだったんですが、書き手本人でない人が生原稿を入力されたせいか、ところどころに「?」と思う原稿が…。
その一つが、「イラストと小説のニフ」。
カタカナで ”ニフ” です。
データ原稿で「?」と感じたとき、文章の流れやキーの打ち損じなど慮って、だいたいこうだろうと修正書きができるのですが、今回だけは、どうしても分からない。
もしかして「ラフ」?
イラストやデザインなら、アイデアを伝えるためや下描き前にザッと描く”ラフ” というのが思い当たりますが、それが小説にも掛かっている言葉。
文章では、”ラフ書き” というのは聞いたことがありません。検索してもヒットなし。
悔しいけれどさっぱり分からない…。
ということで、組版では赤色にだけしてもらい、先方への確認箇所として、初校(組版後を確認してもらうためのゲラ刷り)を出しました。
数日後、先方から初校戻りが届きました。
そこに朱書きで書かれていたのは、「イラストと小説の二つ」。
そう、正解は「二つ(ふたつ)」でした。
そういえば、カタカナの「ニ」と漢数字の「二」。
ゴシックなどの書体によっては同じに見えるけれど、書体が変わると正体が分かることって、これまでにも経験がありました。
手書き原稿でも、人の癖字で別種の字に見えること。
そもそも、文字種が違っていたなんて、考えが及びもしませんでした…。
自分まだまだだなぁ~と思う、今日の校正でした。
「味あわせる」「味わわせる」
「味わう」の使役の形は何でしょう。
例題1:ここでしかできない体験を味○○せてもらった
例題2:おまえにも同じ痛みを味○○せてやる!
「使役」とは、ある行為を他人に行わせること。「~させる」ことです。
○○に入るのは、「味わう」だから「味わわせる」でしょうか。「味あわせる」とも聞いたことがあります。書いてある言葉でも見たことがあるかも。
「わ」が二つって変。急に「あ」が出るのも変だから「味わせる」だったかな・・・。
正解は・・・
文法的には「味わわせる」が正
「味わう」の活用は、「ワ行五段活用」。
味わわない、味わいます、味わう、味わう時、味わえば、味わえ!
という具合に、「味わ・う」の「う」が変化していきます。
よって「味あわせる」を原形に戻すと「味あう」になるので、文法的には間違っているのが分かるかと思いますが、「わ」が2つ続いて言いにくいためか、「味あう」と書く人はいないけれど「味あわせる」「味あわない」は、かなりの頻度でお見かけします。
書きコトバと発声コトバの違い
例えば、「わたしは、おとうさんへ伝えました。」を言葉にするとき。
「ワタシワ、オトーサンエ ツタエマシタ。」と発声しますが、この通り文章で打ち込まれてきたら多くの人が違和感を感じますよね。
(ロボットや宇宙人のセリフ書きなら、読む雰囲気がばっちり伝わってきますが)
発生する言葉は、常に変化していると感じます。
文法的には間違っている言葉でも、例えば、その人の個性を表現する、言い回しのしやすさ等で、活字になっている例もあります。
だけど、書きコトバは、まだまだ文法にうるさいところがあって、
「見れてよかった」⇒「見られてよかった」(ラ抜き言葉)
「友達が話してる」⇒「友達が話している」(イ抜き言葉)
「歌わさせていただきます」⇒「歌わせていただきます」(サ入れ言葉)
などは、修正されます。
こうしたブログやSNSなど、多くの人が気軽に言葉を発信するようになって、書きコトバも随分自由になったと思いますが、書かれた文章、特に残そうと思って書かれた文は、長期にわたり保存されますので
やはり「味あわせる」と「味わわせる」、”書く”のであれば、「味わわせる」と書くのがよいかなと思います。
名前の句読点
名刺の制作でお名前に「、」読点がにある原稿をいただきました。
同じ会社で複数名いただいて、お一人だけにある「、」。
「鈴木太郎、」と入稿されてきました。
これは入稿ミスなのか。
校正仕事のレクチャーで、句読点が名前にある例として
「モーニング娘。」さんや「藤岡弘、」さんが代表例として挙げられてますが、実際に、一般の方で名前に句読点がある案件は、今までもらったことがありません。
制作の人とも相談し、一応、読点は削除して初校(見本紙)を出してみました。
そして戻ってきたお返事は、「読点は入れてください」とのこと。
10年以上この仕事をしてきて初めて「名前に読点がある件」に出会いました。
”おぉー”と感動し、仕事場でその日はちょっとした話題でした。
原稿に明らかに誤字とは言えないけれど一般的な事例から考えて「おかしい」と思う時。
校正では赤字で修正するのではなく、「青字」もしくは鉛筆で書いて「疑問だし」という事をします。
入稿された原稿とは違って、こちらで何がしかの修正をした場合、あるいは原稿通りに入れたけれど再確認してほしい場合に、依頼者に知らせる行為です。
いちばん怖いのは、こちらが良かれと思って修正したのが、実は原稿通りが正しかったということ。そして依頼者が原稿が勝手に修正されていたことを知らず、そのまま印刷なり納品されてしまうことです。
だから、この「青字」「疑問だし」は良い制作物に近づけるためにも、人為的ミスを防ぐためにも、その伝達をおそろかにしてはなりません。
私の会社は、中の人がパソコンに流し込み、社内校正も通す会社なので、この「青字」「疑問だし」をよくしますが、機械的に流す印刷会社だと、流したデータ通りの原稿で印刷物が仕上がってきます(自己責任だから安いんです、でも助かります)。
もし、特徴あるお名前、旧字体などをお持ちの方は、注文する際に備考欄などに一言書き添えておくと良いかもしれません。
とにもかくにも、固有名詞は著名なものでないと辞書等で調べることができません。
調べて分からないものは、「ご当人に聞く」が安心・安全です。
「拝啓・敬具」と「謹啓・敬白」
年度末や期末が近づくと、多く入ってくる役員改選や異動などの挨拶状。
そんな、挨拶状の一番はじめにある書き出しの言葉「頭語」といいます。
代表的なのが「拝啓(はいけい)」。
謹んで申し上げます、という意味です。
拝啓より丁寧な雰囲気が「謹啓(きんけい)」。
「拝啓」よりも敬意が高い言葉ですが、同様の意味です。
この頭語にセットになって、文の終わりに来るのが「結語」で、「敬具」が代表的。
wordで入力すると勝手に出てくるように、頭語と結語はどちらか1つのみで使うことはなく、必ず2つセットで使います。
その代表的な組み合わせが、
「拝啓・敬具」と「謹啓・謹言/謹白/敬白」です。
組み合わせ「拝啓-敬具」はダメなのか?
結語の「敬具」も「敬白」も、つつしんで申し上げる意味なので間違いではないですが、言葉の敬意の高さが違うので、「謹啓」にはより敬意が高い「謹言(きんげん)」「謹白(きんぱく)」が使われます。
もしくは「敬白(けいはく)」も謹啓の結語として一般的です。
「敬語」を「謹啓」に変更して、結語を変えるのを忘れてしまうのか、「謹啓」の一般的な相方をご存知ないのか、はたまた、”あえて”なのか。「謹啓-敬具」の原稿をたまに目にすることがあります。
校正者の立場としては、「謹啓-敬具」となっていた場合は、原稿によっぽど指定がない限り、「敬具」を修正します。
間違いではないけれど、赤入れするのはなぜか。
それは、文章の中に「です・ます」と「である」調が混ざっていると修正したくなるように、敬語の程度がそろっていないと、なんとなく気持ち悪く感じるからです。
たとえば
・・・に厚く御礼申し上げます。これからもなお一層のご支援を賜りますようお願い申し上げます。本来ならば拝眉の上、ご挨拶申し上げるべきところでございますが、書面にてご挨拶とします。
という文章が来たら、「最後のほう、どうした?」と思いませんか。
(ちなみに「謹啓」のほうを変えないのは、勝手に文書の敬意を下げてしまう事になるので、私はしません。)
間違いではないけれど、ビジネス文書は形式文書。
見慣れない組み合わせに「あれ?」と相手が思うより、伝えるべき事がきちんと伝わるよう、形式もソロエていくのが美しい文書のコツです。
「ふくろはぎ」
市民権を得つつあるのでしょうか。
検索すると「ふくろはぎ 疲れ」「ふくろはぎ 太い」から「ふくろはぎ サポーター」なる商品名までヒットします。
少し自分の記憶に疑心暗鬼になりましたが
正しくは「ふくらはぎ」。
足(脛)の後ろ側のふっくらした部分ですね。
「ふくろはぎ ふくらはぎ」で検索すると、「ふくろはぎ」が言い間違いである記事がヒットしてきました。
もちろん辞書でもチェック。「ふくろはぎ」はWEB辞書のページがヒットしませんが、「ふくらはぎ」で検索すると辞書ページが引っ掛かります。
言葉の成り立ちから見ても、
ふくら‐はぎ【膨ら脛/脹ら脛】であることから、「ふくらんでいる部分」→「ふくらはぎ」 であると分かります。
日々、いろんな文章に触れていると、たまに自分の知識が思い込みだと気づかされたり、揺らいだりすることがあります。
迷ったらすぐ確認。自分の認識に自信過剰にならないこと。
いつでも低姿勢で、校正業務に努めます。
「校正」って何ですか。
「校正」とか「校閲」とか、聞いたことがありますか。
2016年に石原さとみさん主演で『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』が放映されたので、認知度は上がったかと思います。
「校正」「校閲」は、印刷物やウェブサイトなどにおいて、作成中の内容に間違いがないかをチェックする業務です。
「校正」と「校閲」の違い
「校正」は、制作する元の原稿と照らし合わせて、字の間違い(誤植)や、色の違いなどを確認する作業です。原稿通りではあるけれど、間違いが明らかである「誤字・脱字」の発見や修正も行っています。
「校閲」は何かというと、「校正」より内容まで踏み込みます。
校正のチェック内容に加えて、表記の揺れ(例えば、同じ文の中で「人参」「ニンジン」と書かれている)、内容の不整合(同じ日程の案内なのに、9時と10時の開始案内がある…)、事実との誤り、適切な表現(差別・不快表現の有無や、その業界でルール化されている表現など)もチェックしていきます。
小説などの校閲者さんは、理論構成など内容に矛盾がないかも確認するとか。
私は印刷会社の「校正」担当なので、基本的には原稿と間違っていないか、最低限度の誤字・脱字をチェックすれば良いんですが、全部に目を通すので、どうしても表記揺れや内容の不整合にも気づいてしまう。
デザインの世界もそうですが、文章の世界においても「ソロエル」は美しさの基本です。
印刷後に「やっぱり直してあげれば良かった」と自分の仕事ぶりに残念さを感じることもあるので、校閲に近い校正を行っています。
一見、地味な仕事ですが、気づく人には気づく。
営業成績には直結しないけれど、校正・校閲のチェックを通すことで、大惨事を防ぐことができる。
(なるべくミスのない校正を目指していますが、人間ですから…。やってしまう時も正直あります。よって『校閲ガール』は心臓に悪いので見ていません)
校正・校閲とは、そんなお仕事です。